生と死の循環
絵画は、どれも空間と時間の中から生み出され、その中に置かれる。例えば絵画が矩形のキャンバスに描かれたものであれば、そのキャンバスの平面に一つの宇宙といえる空間を生み出す絵の具層の中に、それが描かれる間の時間を蓄えている。そして、新しい次元が創出される。
私は、色と筆致のクロスから新たな時空間の表現へ、果敢に取り組んでいる一人の作家趙貴玉に神戸のGALLERY北野坂で出会った。
趙は、自身の心象風景である野生の花の群生を独創的な描法により四次元世界を造出している。
先ず私の脳裏に光合成が過ぎった。植物は人間の衣食住全てに関わり、人間の呼吸に必要な酸素も植物が供給している。地球上の生物の営みを支えながらも、目立つ動きも少なく、言葉も発せず、そこかしこに在る植物を、私たちは、存在して当然だと思い込んではいないだろうか。
昨年から今年に掛けて制作された<Wildflowers Inside of Me>と題されたミクストメディア作品は、趙の心の中に群生する野性の花たちだ。一輪一輪の野性は花たちには、作家がナイフで絵の具を盛り上げることにより逞しい生命力が付与されている。
趙が描く緑の草原に群生する無数の花たちを見詰めていると、作家の自然への慈しみや植物と人間の生命とが重なる。
太古から続く自然界の生と死の循環。どの作品にも輪廻転生が窺え、命のサイクルが無限に続くといった心理的な奥行きが感じられる。私には、心の野性の花たちを具現化することで、人間が生きていくとは何かと自問自答している趙の思考が映った。
取り分け2023年の<Wildflowers Inside of Me>の3点組作品は、鮮やかな緑を背景に、厚塗りされた野性の花たちが画面中央から下部に布置され、花が開花する瞬間に生じる物凄いエネルギーを想起させられる。そして、私は趙のフィルターを通して、内なるイメージを煮詰めて炙り出すかのような硬質ナイフによる激しいペインティングに注視した。
趙が描く野性の花たちは、作家の精神の空間でもあり、理性と感性の鬩ぎ合う発露に外ならないだろう。或は、冷静さと情熱が拮抗するような内的イメージが生む、力強くも繊細な刹那なのだろうか。
更に熟視すると、オイルが乾く前に隣りへ別の絵の具をペインティングナイフで画面に塗布している。私には、その過程ので意識と無意識が往還する感情の揺れを具現化しているように映る。
何れにしても心象風景を絵画化することで、自身や自然、或いはその両者の関係について思考を巡らせ、心身を動かすことで作品を創出している趙の制作姿勢が思い浮かぶ。
換言すれば、趙が自分のために作品を制作するというより、作品のため、作品が世に生まれるために作家としての趙が在るのではと覚える。
私には、趙の内的な力によるマチエールが、心理的な奥行きを生み、絵の具という物質と対峙する姿勢が反映され、時空間の標としての野性の花と題した作品群に出会ったことは忘れがたい。


